おかげさまで、
いろんな青年たちと機会がありました。
最近、こう思えるのです。
子どもは、火宅のなかで遊び
現実社会で六道を輪廻する
大人は、現実社会で六道を輪廻する子どもたちを
見守る菩薩
地蔵菩薩
立ち止まったとき
六道を輪廻する子どもたちが
立ち止まったとき、
子どもたちが 感情の大海に
襲われることもあるでしょう。
そして、そばに誰がいるかと見渡す
こちらは、「いるよ」と伝えていても。
そばに誰がいるのかわからない。
そばに誰かが いるのに見えていない。
こちらは、「いるよ」と伝えていても。
見えない、伝わらいことも
それでも…
それでも、地蔵菩薩は見守ります。
時に閻魔に、慈母になり伝えます。
伝わらないことは、多々、続きます。
それでも、地蔵菩薩は見守ります。
菩薩も悩みます。
それでも、地蔵菩薩は見守ります。
ひょっとしたら
子どもたちは歩むしかなく、
大人は見守るしかないのかもしれません。
ですが、
子どもたちが菩薩の側に立ったとき
大人は、
如来の一歩踏み出すのかもしれません。
crowは言います。
天も地も裁かない
ただ、幾重にも、機会を設けて諭される
誰の肩にもcrowは とまります。